本館竣工100周年記念
綱町三井倶楽部物語
綱町三井倶楽部物語5

'64東京五輪を決定づけた1本のワイン

 綱町三井倶楽部は所蔵する酒の銘柄の多いことでは世界有数といわれており、それにまつわるエピソードも多い。なかでも昭和39年(1964年)の東京五輪の開催決定に関し、そのコレクションが大きな役割を果たしたことは、大きな誇りの一つだ、昭和33年(1958年)5月、IOCのブランデージ会長一行が、東京の最終調査にやってきた。東京は五輪開催地の有力候補だったが、欧米から遠い距離的問題、食べ物の問題など、いくつかの理由からヨーロッパの各国が反対の意見を唱えていた。その中のひとつに「第一、まともなワインすらない」という意見があったという。この時、東京に開催能力が十二分にある事を証明し、彼らの不安を見事に払拭してみせたのが、ほかならぬブランデージ会長だった。

 その日、IOC一行を迎えての晩餐会が綱町本館で開かれていた。ディナーの最後、ブランデージ会長が、1947年ものの「シャトー・ディケム」を要求した。「シャトー・ディケム」は世界3大貴腐ワインひとつと称されるワインで、他の委員たちは、そんな貴重な物が日本にあるはずもなく、ブランデージ会長が意地悪く無理な注文をしたものと思ったに違いない。ところが、綱町三井倶楽部は当然の様に「シャトー・ディケム」をテーブルに並べて見せ、委員たちを驚かせたのだった。その場でブランデージ会長は、「ワインさえない」と揶揄していた委員たちの眼前に「シャトー・ディケム」を掲げ、「東京に決めた」と宣言したという。

 実はブランデージ会長は、それ以前にも綱町本館で会食した経験があり、それ故に、ここに優れたワインがある事を十分に承知していたという話がある。1本のワインがオリンピックの東京開催を決定づけたのである。

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