本館竣工100周年記念
綱町三井倶楽部物語
綱町三井倶楽部物語2

ジョサイア・コンドルが遺した日本西洋建築の傑作

 綱町三井倶楽部本館は、鹿鳴館の設計者としても知られる英国人建築家ジョサイア・コンドル(Josiah Conder,1852-1920)によって造られた歴史的建造物である。コンドルは明治10年(1877年)、日本に初めて本格的な西洋建築を教授するために来日した。工学大学校から東京帝国大学の教授・講師として、日本の洋式建築の指導者を育成。明治23年(1890年)に退官後も民間建築家として日本に留まり、多くの歴史的建築物を設計した。コンドルは大正9年(1920年)に日本で死去するまでの約40年間に約80件の建築作品を残したが、現存するものはニコライ聖堂、清泉女子大学(旧島津邸)、大谷美術館(旧古河邸)など数作品のみであり、綱町本館はその中でも最高傑作のひとつといわれる。

日本におけるコンドルの集大成

 綱町本館はコンドルの後記の作品であり、古典的様式美に傾斜したデザイン手法が随所に施されている。

 建物外観の意匠は左右対称を特徴とし、英国の伝統的なヴィクトリアンスタイルを基調とした宮殿づくり。内部に入ると談話室前とベランダ・バルコニーのアーチはルネサンス様式、中央ドームの吹き抜け丸天井はステンドグラスをはめ込んだビザンチン様式、1,2階ホールの吹き抜け部分、庭園側のベランダ・バルコニーの曲線部はバロック様式となっているなど、効果的に様式混用が行われているのも大きな特徴だ。

 その一方でうまく取り入れられているのが和洋折衷。例えばホールの主柱8本は、大理石ではなく、あえて檜の芯のみ使用した大柱で、漆喰塗り磨き上げの木骨風となっている。また、日本間は漆塗り格天井と霞文金銀箔の壁紙、金具は打ち出し袖飾りを使用しているが、入室するドア2カ所と談話室に通ずるドア、およびマントルピースには樺材を使用。各室に置かれた絨毯、緞帳、壁紙、椅子、ソファーなどは、色調が使用目的によって統一され、和洋折衷を見事に成し遂げている。西洋の建築様式を知り尽くし、同時に日本の建築様式もよく研究したコンドルだからこそ、実現できた、様式混用と和洋折衷。これらが一体となって、典雅さと荘重さを極めている綱町本館は、日本におけるコンドルの集大成といっても過言ではない。晩年の傑作といわれる所以である。

施主と設計者の幸せな関係

 コンドルが綱町本館の建築にいかに力を注ぎ、またどれほど納得のいく作品であったかを物語る話がある。コンドルは設計だけではなく、工事の責任者として施主から工費の仮渡金を受け、自らが業者に材料工賃等を支払うという方式で、工事を進めていた。

 設計者が建築まで請け負う方式は現在でもあまり例はないが、洋風建築が未熟な時代にあって、施主から絶大な信頼を受け、またそれに応ええる技術と能力を備えたコンドルだからこそ可能だったといえよう。そうした信頼関係のもと、コンドルは細部にまでとことんこだわりぬくことができた。建築材料としては、それぞれ当時の最優秀品を国外に求めたという。鉄鋼材はアメリカ、大理石はイタリア、シャンデリアブラケットはフランス、壁紙はスイス、トイレット陶器はイギリス、窓ガラスはベルギーというように厳選された。

 自らが描いた理想の建築物を、自らが求める最高の材料で造る。まさに建築家冥利につきる夢のような話であるが、それを許した当時の施主・三井家の懐の深さもうかがい知れるエピソードでもある。

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