本館竣工100周年記念
綱町三井倶楽部物語
綱町三井倶楽部物語7

庭内に残る「渡辺綱」の産湯の井戸

 綱町本館が建つ三田の丘陵は、東西南北それぞれ700m足らず、高低差もようやく30mばかりの小高い背台地である。

 この辺りは江戸時代から「三田綱町」と呼ばれ、倶楽部東側には「綱坂」がある。羅生門の鬼退治で有名な平安時代の武将・渡辺綱が付近に生まれたという伝説があり、「綱」という地名はここに由来している。 

 渡辺綱が産湯をつかったという「綱の井戸」が、本館から西洋庭園におりたすぐ左側、銀杏の大木のもとにある。大きな自然石をくりぬいた立派な井戸枠がそれである。かたわらに高さ1mほどの石碑があり、その風化具合からも、長い歴史を持つ井戸であることは間違いない。


・・・日本庭園部分は当時から名園として誉れ高い会津藩松平家の広大な・・・

 また、ここは江戸時代には諸藩が屋敷を構えていた場所であり、綱町三井倶楽部の建物敷地部分は佐土原藩島津淡路守屋敷跡であり、日本庭園部分は当時から名園として誉れ高い、会津藩松平家の広大な下屋敷跡を基礎としている。倶楽部の日本庭園もこの庭を基礎としている。

 土地取得の経緯は、現存する資料が少なく、また不明点も多いが、明治11年(1878)から明治42年(1909)にかけて團琢磨など何人もの三井財閥関係者の所有を経ながら少しずつ買い増していったと考えられる。現在は総敷地面積8千坪。日々変わりゆく周辺の景観の中で、ここだけはいまも昔と変わらぬ姿を残している。

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